山小屋で過ごした50日(前)

今しかできないこと、の最大値を取ってみる

 昨夏山小屋で過ごした日々についてあれこれ思う所があり、書き留めておきたかったのだが、いつの間にかすっかり真冬になってしまった。それでもなお、自分にとって大きな価値を持つと信じられる50日だったので、日記と写真と断片的な記憶をつなぎ合わせて、今書けるだけのことを残しておこうと思う。

 山小屋バイトにはずっと興味があった。山は好きだしお金ももらえる。まとまった時間の取れる学生のうちにしかできない。共同生活や住み込みのバイトなど、普段得られない生活の「濃さ」に対する漠然とした憧れもある。大きな懸念は夏休み中の卒論の進捗がゼロになることだが、卒論のテーマを「山小屋から考える登山の大衆化」とすることで強引に解決した。この時ほど何でも扱える社会学に感謝したことは無い。コロナ禍で募集は減っていたものの、何軒か問い合わせた末に北アルプスのある小屋で8月初旬から9月下旬までの50日間、アルバイトとして働くことが決まった。

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ライチョウは結構近くまで行っても逃げないでくれる。



 

アルバイトをすることの意味

 着いた当日は登山後ということでゆっくり休ませてもらい、夕食時に顔合わせを済ませ、翌日の朝食準備から仕事を始めることになった。集合時間は4時半。空が明るくなり始めてから寝る僕にとって最も大きな懸念は朝起きることだったが、結局寝坊したことは一度も無かった。仕事とは偉大なものだ。

 はじめは教えてもらうことばかりで、先輩バイトや支配人のおじさんも丁寧に指導してくれる。1週間ほどは新しく知ることや小屋周辺の綺麗な景色に感動するだけの楽しい時間だった。が、少しずつ暗雲が立ち込める。

 端的に言えば、仕事を覚えるのが遅く手際が悪い。エプロンを付け忘れるなど初歩的なミスで怒られたと思えば、盛り付けの手順を間違え怒られ、片付け時にやることが分からず高校生と話していてまた怒られる。ちょうど悪天候が続いたことにコロナの感染拡大が追い打ちをかけ極端にお客さんが少なくなっていたため、お金をもらって仕事をするという緊張感も足りていなかった。

 見るものやることすべてが目新しかった時期が過ぎ、やるべきことが進まず他の人の役にも立たない無力感に苛まれ、周囲の優しさがますます自分の情けなさを引き立たせてしまう。まるで留学生が滞在先に慣れた頃に感じるブルーのような心境に陥っていた。

 とはいえ仕事ができるようにならない限り解決しない。仕事の手順を寝る前にひとつひとつノートに書き出していき、シフト中以外でも厨房や受付周辺をうろうろして仕事を探し、といった今思えば涙ぐましい努力をしていた。

 結局物覚えの悪さはひと夏で克服できるようなものでもなかったが、重要な教訓を得た。アルバイトは、怒られ慣れるためにするということだ。どうしたって覚えきれないことはある。注意力散漫なのも、そのくせ叱られるとやたら凹むのも、今に始まったことではない。怒られたくなどないが、きっと社会人になっても僕はしょうもないミスをし続け、怒られ続けるのだろう。時間や精神力は有限なので、なるべく心をすり減らさずに気持ちを切り替え次から注意すべきことを身に付けていく必要がある。その練習をする最も手っ取り早い手段がアルバイトなのだ。もうほとんどバイトをする期間は終わってしまったが、それでも自分が今までしてきたことに対し、お金ややりがいといった聞き飽きたもの以上の理由を一つ見つけられたことは、小さくない収穫だった。

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クロサンショウウオ。そこらじゅうに居て、僕に元気をくれる。

 

山に行く理由

 働いていた間、バイト仲間とよく話題にしていたことがある。「下界に戻ったらまず何をするか」「バイト代を何に使うか」そして、「なぜ山に登るのか」だ。一つめと二つ目に関しては、山小屋バイト自体が目的だった自分はあまり考えてなかったし、あまり考えないまま数カ月経ったら稼いだお金も無くなっていた。ので三つ目について少し考えてみる。

 よくある答えは「景色がきれいだから」「自然に癒されるから」「登頂したときの達成感がたまらないから」などなど。僕も全面的に肯定する。でもそれだけだろうか。

 山小屋で過ごして分かったのは、不便な生活はそれまでの日々を相対化してくれるということだ。インターネットはつながらないし、コンビニは無いし、夜9時過ぎに発電機を切るので電気が使えなくなるし、食べ物はやっぱり冷凍食品とレトルトに偏るし…。数えきれないくらいの不便さを否応なく受け入れて生活していると、なんだかんだそれでも生きていけることに気づく。大抵のことは少し我慢すればいいし、しばらくそれを続けていると我慢は我慢ですらなくなってくる。生活が「そういうもの」として立ち現われて来るのだ。

 そういうふうに「便利だけどしばらくは無くてもなんとかなるもの」がそぎ落とされていくと、必然的に今度は自分にとっての「生きていく上で欠かせないもの」が可視化される。とりあえず僕にとっては、一人になれる時間と、周囲の人との良い関係と、おなかいっぱいご飯が食べられることだった。これが崩れると本当にストレスになるし、これさえあれば数カ月は健康に生きていけるようだ。

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池の水はどこまでも透き通る。

 山という場所が都市生活の利便性と過剰性を問い直させてくれるということは、山小屋生活に限らず普段の山行でも同じだろう。テント泊山行なら特に、衣食住のすべてで分かりやすく制限がかかる。切り詰めた着替えをどうやりくりするか考え、軽さと栄養とおいしさのバランスを取るために一食一食工夫を凝らす。暖かく快適に眠れることは行動中のコンディションに直結するが、同時にテントやシュラフ等の寝具類は一番重くてかさばるので、例年の気温と照らし合わせて必要最小限の装備を慎重に計算する。そうやって選んだものをすべてザックに詰め込んだ時、なんとも言えない充足感がある。

 何年山歩きをしていても風呂に入れないのは苦痛だ。ご飯のレパートリーは当然限られる。テントはもちろん家のベッドより寝心地が悪い。それでも山をやめられないのは、必要なものはすべて自分で持ってどこにでも行け、自分の力で生きていける、という感覚が何にも代えがたいからだ。一言でいえばそれは自由なのだろう。

 必要最小限を背負って山に行く。一人でも良いし、友達とでも良い。一人なら一人の時間が自分に欠かせないことを再確認できるし、友達となら気が合う他者との関わりが自分をどれほど形作ってきたかを改めてかみしめられる。そういうふうに、本当に必要なものは何なのかを考え直すために、僕は山に登るのだ。(続く)

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チングルマは可愛い花だ。誰も可愛いと言わなくてもきっと同じように咲くだろうけど。