就活失敗記―立派でつまらない歯車になるために

就職活動がようやく一区切りつき、いろいろと思うところがあるので、忘れないうちに書き残しておこうと思う。願わくば、巷に溢れる就活ノウハウや成功談よりは価値のあるものにしたい。

 

端的に結論から言えば、失敗寄りの耐え。

一応志望業界の中堅から内定をもらい、大手の最終結果を待ってる状態だけど、ここまでに25社ほど続けて落ち、まあまあ心も荒んだ。

なんでこうなったか。時系列に整理してみたい。

 

①スタート:年末ごろ

そもそも始めたのはだいぶ遅い方だった。

インターンなんかに張り切って参加しちゃってる人たちを結構冷ややかに見ていたし、「あなたを動物に例えると…」みたいなばかばかしい質問に大真面目に答えなきゃいけないと思うとうんざりした。「自己分析」なんて言葉も自分探しみたいで恥ずかしかったし、漠然と就活文化そのものを馬鹿にしていた。

 

とはいえ就職はしなければならない。

趣味を続けるために必要だから仕事をするのだ、と自分を納得させ、「高給 ホワイト 業界」とか調べてみると、高確率で出てくるところがある。

 

化学だ。 

 

高い技術が必要だから企業ごとに独自の優位性があるし、ものづくりの川上で顧客が多岐に渡るので安定している、人も穏やか、…らしい。理科の中では一番苦手だったが、まあ事務系なので何とかなるだろうと思い、化学を中心に素材業界を見始める。

インターンの日程もいくつか調べたけど、めんどくさくて結局年内は何もせず、マイナビを眺めて「世の中にはいろんな会社があって面白いなー」くらいに思っていた。

 

インターン:2月ごろ

1月にようやく動き出し、友人にES見てもらいながら何社か1dayインターンに応募してみる。大した志望動機もなかったしWEBテストも初めてだったが、誰でも知ってる大手企業がいくつか通ってしまう。あれ、意外と就活ちょろくね…?w

 

グループワークというのはしてみると結構「質の高低」が分かってしまうもので、有名企業ほど、「ちゃんと話が通じる」学生が多かったように感じた。僕の大手志向の原点はここだったと思う。

 

冷静に考えればインターンなんてのは企業が優秀そうな学生に自社を売り込むためのある種のブランディングなので、ペラペラの志望動機でもとりあえず通してくれるのだろうが当時はそこまでは気づかず、とにかく僕の中ではどんどん根拠のない自己効力感が補強されていった。

 

③本格的に応募開始:3月

業界地図を買ったのはこの少し前くらいだった。カラフルに業界ごとの有力企業の情報が華々しくまとめてあり、インターンでいい気分になっていた僕はせっかくなのでここに載っているような大手を上から攻めまくろうと考えた。

 

一応難関国立大だし、体育会での幹部経験も留学経験もある。まあどれかは引っかかるだろう。

 

化学を中心に非鉄、ガラス、繊維、製紙など素材業界のトップ~準大手企業をとりあえず15社くらい出した。通過率は7割5分くらい。正直余裕だと思った。

 

④面接開始

4月になると本格的な面接が始まってくる。ここで少しずつ現実に気づき始める。

まず緊張に弱い。

言いたいことはなんとなくはあるのにそれが論理的な言葉としてパッと出てこない。これまでの人生でコミュ力が特段低いと思ったことはなかったが、気心の知れた仲間とわいわい話すのと、面接という場で自分をアピールすることの絶望的な隔たりを感じ始める。

とはいえまだ駒もある。減ってきたら出し足せばいいんだし、落ちる企業があれば次に進む企業もあるのだから、最終的には第一志望群のどれかには行けるだろう。

 

⑤中盤~行き詰まり

面接に慣れてきて、1次を無事突破した企業の2次面接が5月ごろから始まる。緊張には確実に強くなってきていたし、勝機はあるはずだった。

 

が、通らない。

上手く答えられたと思った面接が何回か続けてあっさり落ちると、なんとなく正解だと思っていたものが揺らぎ始め、目指すべきものが分からなくなる。

 

自信たっぷりにいけばいいのか?それだと独善的な人間に思われるから謙虚さを見せた方が良いのか?たくさん用意したはずのガクチカのどれを強調するのがいいのか?そもそも自分のガクチカは本当にアピールの材料になっているのか?にこやかに「すごいですね!」なんて言いながら落としてくる面接官は何を見ていたのだ?志望動機の「浅い/深い」って何をもって測るんだ?

 

企業ごとに採用基準は違うので、もちろん正解は無い。

それでも自分なりに「こういうところをアピールすれば大体ウケるだろう」と思っていたものが崩れると、少なからず精神的に追い詰められていく。

 

 

気づけば持ち駒は減り、追加で出せる大手企業も限られてきていた。

 

自分が就活に失敗しかけている、という現実に向き合うのは本当に疲れた。

朝起きるのがますますしんどくなり、日中も面接以外の時間に何をしていたかよく覚えていない。メールだけは10分に1回確認するような、何の生産性もない一日一日が過ぎていき、深夜にだけ思い出したかのように追加のESを書く。

が、たいして興味もない中堅どころは中身の無い志望動機しか書けないし、面接で伝えられる熱意も無いので、あっさり落ちていく。

 

四季報の内定者出身大学を見て、ここくらいなら自分なら入れる(めちゃくちゃ失礼な話だけど)、と思っていた企業に落ちると、本当に自分が無価値に思えてくる。ただただ惨めだった。

 

⑥終盤

内定が出たのは本当に偶然の産物だった。

 

同じくらいの中堅もすでにいくつも落ちていたので、とにかく持ち駒を増やしたい一心で受けたうちのひとつだった。なんとなくで臨んだ1次面接だったが、話したおじさん数人の雰囲気が本当に良く、風通しのいい、若手を可愛がってくれそうな会社だと思えた。

向こうも僕をずいぶんと高く買ってくれたようで、「1週間以内には連絡したいと思います」と言っていた通過連絡はその日の夕方に来た。

 

同時期に、2つだけ残っていた最大手の選考も進んでおり、それが精神的な支柱になってなんとか腐らずに済んだ。

 

3日連続で最終面接(しかも一つは対面なので新幹線で移動)という慌ただしいスケジュールの中で、深く考える時間もなく山場は終わり、次の日にあっけなく内定は出た。

 

これ以上続ける気力も残っていないので選考中の他企業には辞退連絡を入れ、これにて就職活動はおしまい。

四季報の内定先のページや転職者向けサイトでポジティブな情報を漁り、これでよかったんだと言える根拠を必死でかき集めているのが惨めな惨めな現在である。

 

 

 

さて。

結局なぜ就活が上手くいかなかったのかは分からない部分も多いが、振り返ると見えてくることもいくつかある。

 

まず大手志向が強すぎた。

これまでの自分を振り返ってみると、自分自身よりは所属する組織にプライドを持ってきた。特に、明らかな天才がたくさん周りにいた中高時代は自尊心が満たされていた。優秀な人に囲まれていると自分もなんとなくデキる人間に思えてくるし、なんなら優秀な人と仕事するために大学受験の負けを就活で取り返してやる、くらいに思っていた。

 

裏を返すと自分の能力に自信が無いというだけだが、まあそれはどうしようもない。

どうせつまらない歯車のひとつにしかなれないなら、せめて立派な機械の歯車になりたかった。

 

 

そしてチャンスはあったはずだが、掴むには準備が足りなかった。

思えば結構いろんな人からインターンの重要性やらWEBテストの勉強の必要性やらを聞かされていた気がするが、特に何の根拠もない「なんとかなるだろう!」で流していた。突出して優秀なら実際になんとかなるのだろうが、自分はそうではないということを、もっと早く認めなければならなかった。

 

 

 

失敗経験を失敗経験として持ち続けることは精神的負担が大きいので、大抵の人は「上手くいかないこともあったけど、まあ振り返ってみるとこれで良かったよね」などとつまらない美談にしてしまうし、それが上手く生きるコツなんだとも思う。

 

社会人になればきっと当たり前のように楽しいことも嫌なこともあり、就活の失敗など日々の忙しさの中に埋没していくのだろう。

だからこそせめてその前に、失敗を失敗として記録し、惨めさを明確な形を持って残そうとわざわざブログまで始めてこの文章を書いた。

いつかこれを読んでもなお、この会社で良かったと胸を張って言えるまでになればと思う。